小林忠文のブログ

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VOL.13【信じる力で扉を開ける6】メキシコ編

VOL.13【信じる力で扉を開ける6】メキシコ編

 

小林 忠文です。

さて、本日は娘の誕生日で10歳になります!!

もう、10年。

成長してくれてありがたい。

フットサルもいっしょにやれたし。

サッカーを楽しむということに再度、導いてくれたのが

娘の「フットサルやる」の一言。

わからんもんですなぁ。

いつか、この私のサッカーへの気付きを記事にしたいと思います!!

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【今日の一言】

良くなる兆候?

私の感覚かも

良くなる前って、ずどーーんって沈みますね。

沈んで かえって来れない方もみえます。

沈んでも 上がみえなくても 上を見続ける。

あきらめないこと。

あきらめなければ

かならず

よくなります。

頑張るんではなくて、あきらめないです。

今、沈んでるかた!!

浮上しますから大丈夫。

でも、あきらめるは 除外です!!

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本日のテーマ

【信じる力が扉を開ける6】

さぁ、メキシコ編、チャンスは突然、やってくるとサソリ&発砲事件。

スタートです。

メキシコ編、3回を予定しておきながら、、、

全く終わる気配がございません。。。。

テコスでの練習は 1週間参加させて頂く間にまたもや

奇跡が起こりました。

NOZOMIさんはじめ、超エリート日本人の皆様から

呼び出しが。。。

「KOBA 日本人のサッカー選手見つけた!!」

「今すぐ来なさい!!」

みなさんが、KOBAという 日本人がサッカーやりに来てると

何かつてはないか?と

いろんなところで話してくれたのです。

練習を終え、みなさんが待つ レストランへ。

そこに見えたのが シュンスケさんと いう私の2つ上の方でした。

シュンスケさんは その時は日本にいて、たまたま1ケ月だけメキシコに来ていたタイミングでした。

シュンスケさんは メキシコで初の日本人サッカー選手。

15歳からメキシコに来ていました。

現在は サッカーの通訳やコーディネーとやら スポーツ関わる会社を経営されています。

メキシコのチームがクラブワールドカップとかに来ると大体、通訳又はコーディネートされてます。

あっ ここで余談ですが、このメキシコ生活で後5人 日本人のサッカー関係者が登場します。

当時のメキシコでこんなに 日本人サッカーでつながるのは 20年前では奇跡です。。。

脱線。

で、テコスの練習に通いながら

毎日、シュンスケさんとお会いし、練習もし

チームも探してくださいました。

ある日

「KOBA、来週からドゥランゴにいきなさい。新しくちチームができるからテストが受けれる」

「私も2日間なら一緒に行って上げれる」

「はい!いきます」

そして

テコスでの練習をおえて、ドゥランゴにシュンスケさんとむかいました。

あっ ドゥランゴ この地名 聞いたことありませんか?

そうです。

かなしいですが、昨日 メキシコで飛行機が落ちた舞台です。。。

ドゥランゴはメキシコ3部リーグに加わる新しいチームです。

メキシコ3部でもスタジアムもチームスポンサーも結構よかったことを記憶しています。

初めてのプロテストです!!

テスト3日目に ダブル、トリプル事件が起こります。

練習が終わった後、 オーナーと監督に呼ばれます。。。

「KOBA 合格」

「ようこそ エキッポ ドゥランゴ へ」

えーーー。

合格。

えーーー。

で、どうすればよいの。。。

その後、オーナーたちは

「KOBA おまえのパスはどこにある???」

↑この意味が全く分からず。。。

シュンスケにきいて、明日 また 話しますということで終了。

シュンスケんさんに助けを求めました。

要は

KOBAの保有権はの権利はどこにあるかを 聞いていたのです。

これは 移籍金等にもかかわるのでかなり大事なことでした。。。

今回でいうと 私がサッカー選手としての 身分証明書を日本サッカー協会から

発行してもらい、メキシコサッカー協会が移籍を受理し、 保有権はドゥランゴに移るという

事です。

もし、交渉でドゥランゴが保有権を KOBA自身にくれれば 移籍等は簡単にできます。

まずは 日本サッカー協会からの書類が メキシコで受理されれば メキシコではプレーしやすくなります。

ちょい、ふくざつですね。

よし、意味がわかった!!

明日、話そう!!

やったー!!

合格だ!!

しかーし。

私が住んでいた グアダラハラより、 はるか 山奥。

といより、あまりにも よくわからない町。

少々

不安が。。。

合格したことより、ここで暮らしていけるのかのがさらに不安になっていたのだと

思います。

まー

まずは、ホテルに帰るぞ!!

さぁ。

奇跡の後の 事件はつきものです。

ホテルにつき シャワー扉を開けると・・・

私の目の前に・・・

えっ

トカゲ??

え。

ザリガニ??

あーーーーーー

サソリーーー

でたーーー

サソリー

どうしていいのかわからず。。。

脱いだ服をまた きてフロントに猛ダッシュ。。。

言葉 わからないので・・・

ひたすら 日本語で さそり サソリ!!

まぁ なんということでしょう。

ホテルのフロントに サソリさんの置物が

「ROOM これこれ→」とサソリの置物を指さして

やっとわかってくれました!!

で、 判明した事実は・・・

ドゥランゴはサソリの町でした。

有名。

ある種の産業。

Mr.KOBA がっくり。

地球の歩き方にも書いてあるやーーーん!!

テストに夢中になりすぎたーーー。

という、サソリ事件も解決し、恐る恐る

部屋に

さぁ 寝よう。

サソリくん もう来ないでねと

目をとじたて

ここでの生活をイメージ

すると。。。

「バーン・ばーん」

えっ。

なに

「バーン」

またもや事件、

慌てて外を見ると、けん銃で 撃ち合ってる・・・。

あかん

あ・か・ん

あかん

ドゥランゴ

すめない。

す・め・な・い

銃撃は収まり。

でも、KOBAの心は 収まらない。。。

そして

次の日。

オーナーと監督に。。。。

「グアダラハラに帰ります」

「ありがとうございました。」

記憶では

あまり考えずに 出てきた言葉だったと思います。

チャンスをもらったお礼は 心からの

グラシアスで伝わったかとは思いますが、まだ

人間的、スポーツ選手としての根性も足りなかったのだと思います。

でも、後悔もありませんでした!!

このドゥランゴ

実は1年で 2部リーグに昇格。

すごすぎる。

ちゃんちゃん。

いろいろ あるぜ!!

めきしこーーー

また、また、 奇跡の出会いが待っています。

では

アスタ マニャーナ!!(また あした)

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Mr.KOBAからのお知らせ】

・近日中(8月中) リフォームについての動画をUPいたします。

・近日中(8月中) 小林紹介MOVEUPいたします。

・近日中(8月中)タイ進出 相談会をオンラインで行います。

 


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